みなさんこんにちは、ラジローです。
先ほど、ミュージックステーションで中島みゆき特集を見ました。
その時は、竹原ピストルさんが、「ファイト」を熱唱していました。
その光景そのものは、私が長渕剛が好きなだけに、長渕ぽいなと思ったくらいで、そんなに感動を覚えるものではありませんでした。
(別に竹原ピストルさんを批判しているのではありません。竹原ピストルファンからすると長渕なんてと言うのと同じくらいです。気にしないでください)
そのあと、妻が中島みゆきの歌うファイトが聞きたい、と言いました。
竹原ピストルさんを見たあと、なんとなく長渕剛を聞きたくなった私は、その時AmazonMusicのAlexaに向かって「長渕剛を再生して」と言っていました。
しかし、妻が中島みゆきを聞きたいというので、仕方なく中島みゆきの「ファイト」を再生してとAlexaに話しかけました。
先ほどのミュージックステーションで竹原ピストルさんが歌うファイトを見ていたので、歌詞は頭の中になんとなく入っていました。
女の子を突き飛ばす薄ら笑い女、田舎を出ていこうとして滲む東京行きの切符。
それはそうと、ミュージックステーションで、中島みゆき「ファイト」自身が83年の曲という表記が出ていたことにまず驚き。
私が高校生くらいのときの曲かと思ったら、まだ幼児の頃の曲でしたよ。
何かのCMで流れていたので、その時の印象が強く残っていたのでしょう。
まぁ、とにかく、改めて、最初から中島みゆき「ファイト」を聞いたわけです。
私は皿洗いをしながら聞いていましたが、竹原ピストルバージョンと違って、まあ、本人が歌っているのでそうなのかもしれませんかます、胸騒ぎする感覚がありました。
昔CMで聞いていたときとはなにか違う。
あの頃、つまりCMソングとして聞いていた頃は、サラリーマン頑張れ的な感じでしたが、歌詞も頭に入れながら中島みゆき的独特な歌唱力と、ベースの効いたなんだかんだ鼓動的な原曲を聞くと、自分の中にガンガン入り込んでくるというか、なんかこう、左の心臓を捕まえてブルブルと揺さぶるような感覚がありました。
皿を洗いながらですが。
よくよく考えてみると、今の自分の置かれている状況。
つまり、フリーになり独りであれやこれやとやって、仕事がたまり、事務所で独りで黙々と作業し、お疲れ様もなく、刻々と過ぎていく日常が、意識はしていないつもりでも、内心無意識では「俺頑張れ」という感覚があったのだと推測します。
なんともいいようのない感覚なので、徒然なるままにブログに書いておりますが、ときに歌というものは人生の節目節目にズバッと切り込む力を持っているのだなと改めて思いました。
ファイト!が他人を応援するのではなく、自分自身に対して「世の中の理不尽に負けるな」と奮い立たせるような、そんな感覚をいだきました。
そういえば、中島みゆきのラジオ、なかなか独特な言い回しだったなぁ。
40にして中島みゆきに興味を持ったラジローでした。
以上です。
本日もラジローのブログをご覧いただき、ありがとうございました。
ファイト!!