ラジロースタイル

40歳FP。自閉症スペクトラムの子育てと独居父親の介護とダブルケアを実践中。四十にして惑わずをモットーに、いろなことにチャレンジしたいおじさんです。独立開業による老後に備え資産形成に力を入れています。

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子供の世話と親父の世話と【ダブルケアの真実】

みなさんこんにちは、ラジローです。

 

昨日親父が倒れて焦ったという話を書きました。

 

15年ほど前、おふくろが末期がんで亡くなってからというものの親父の独居が続いています。

 

正直これまでの間、親父については、いい思いはありませんでした。

仕事人間だったため、家事をまったくしない、おふくろに厳しいなどいい思い出がないのです。

 

最近特に嫌だなと思うことが、「家が汚い」ということでした。掃除をしないので家は汚れていきました。

子供たちや妻に実家をを見せるのがだんだんと苦痛になってきました。

親父委に除をしてくれと言っても、「わかったわかった」と言っては掃除をしません。

清掃サービスを入れようよと言っても「大丈夫大丈夫。今は必要ない」といい取り合ってくれません。

 

毒親ではないけれど、その存在が重荷になっていくという実感は少なからずありました。

 

「どうしようどうしよう」とずるずる進んで15年。

 

家の中がゴミ屋敷とまではいきませんが、においやほこりっぽさであふれています。

 

近年は毎週末に親父を連れ出しては、孫(いわゆる私の子)と遊ばせるようにしていましたが、正直「親父が元気なのもめんどくさいな・・・」と思うこともありました。

 

子育てに忙しいと実家に行くのもおっくうだと思うのです。

実家の両親が元気だとそりゃ実家に帰るのが楽しいでしょう。

しかし戻るたびに汚れていく実家を見る現実は、少しずつ心をむしばんでいくのかもしれません。

「いつでも迎えるよ手伝うよ」と言っているけどいざ迎えをお願いすると「場所が若なんない」

 

結局難儀なんだろ・・・そう思う自分がいました。

 

しかし、実際親父が倒れた姿を目の前にすると「死ぬな、親父死ぬな」と心の中で思っている自分がいたことに驚きでした。

 

驚くでしょう。

親父を死ぬなと思うのはあたり前です。

 

しかし、それに驚く自分がいるのです。

 

昨日の出来事は確実に私の心を動かしました、いえ揺さぶったとでもいいましょうか。

 

親父の「大丈夫」に立ち向かわなければならない。それは本人の意思は尊重すべきでしょうが。

 

しかしこのままではずるずるとへたっていく親父を見るだけでいいのか。

少ない余生を孫と家族とどう過ごすのか。

 

考えていかなければなるまい。

 

ふつふつとそんな感情が沸き上がってきた今朝でした。

 

以上です。

本日もラジローのブログをご覧いただき、ありがとうございました。

「親父死ぬな!」初めていった言葉

みなさんこんにちは、ラジローです。

 

今日は親父が倒れて焦った話。

 

祖父の画像

いつまでも元気じゃないのね・・・



 

寒いので大衆浴場へ行ってきた

三連休の三日目、寒いこともあり、私の父を誘ってK(6歳末っ子ASD)と父と私の3人で市内の温泉浴場へ行ってきました。

 

今思えば、親父を迎えて車に乗せた時、「最近親父のお腹が膨れてきたかな、太ってきた?」と思いました。

 

体調の変化があったのかなと気になったのですが、特にそれ以上気にすることなく大浴場のお風呂に一緒に入りました。

 

長風呂のつもりはないのだが

親父とKとお風呂に入ることはこれまで度々ありました。

Kは浴場の中も走り回り、湯船の中でも足をばたつかせるので目が離せません。

そこで、私がサウナに入っている間は親父に孫を預けていました。

 

いつもは体を洗って一緒にお湯につかり、その後私はサウナ冷水のセットを2回ローテーションして上がるというのがだいたいでした。

 

私がサウナに入っている間は、親父がKを見守っているというところでした。

今回もいつも通りと思い、親父が「そろそろ上がろうか」と言うときに「あと一回サウナは行っていい?」と聞いてしまいました。

 

その時点で入浴スタートから30分ほどでしょうか。

 

そこでKがもう上がりたいとぐずったため、先に着替えさせまた私だけサウナに入ろうと思い、3人一緒に更衣室へ戻りました。

 

予想以上に体力と体調の悪化が

Kを着替えさせている間、ふと浴場入り口に戻ると壁にもたれかかるうつろな親父を発見しました。

 

明らかにふらついている。

 

最初は「なんだ親父大丈夫か?」と言ってそばに近寄りましたが、大きなあくびをして白目をむいてその場にぐったりと倒れてしまいました。

 

「やばい」と思った私は急いで着替え、親父の頭を持ち上げ膝の上に乗せ「親父!親父!」と呼びかけました。

 

周りのおじさんたちに「頭を高くしろ」「後頭部をもんで血流をよくしろ」と言われ、言われた通りにしました。

 

施設のスタッフが駆け付け「この指何本かわかりますか」と聞かれ、親父は正解を答えていました。

 

意識がはっきりして目も開いてきたので、しばらくして起こし、更衣室の長椅子に寝かせました。

 

体を冷まして起き上がって座ることができたので、側についてロッカー前まで移動し、再度椅子に座らせました。

 

「立ったまま着替えると危ない」と直感的に思ったので、座位のまま着替えをさせました。

 

そして洗面台の前へ移動し親父の頭を乾かしました。

 

薄毛になった親父の頭を乾かしていると、初めて親父の頭を乾かしていることに気が付きました。

 

これが介護のスタートの一日になるかもしれないなと無性に思いました。

 

階段でも、横に付き添って歩いて一階へ。

今まで「介護なんてまだ早いよ」と言っていた親父ですが、卒倒した親父を見るとすべての動作が怪しくあぶなかっしげに見えました。

 

「これは親父を説得して介護保険のサービス利用申請も今年は視野に入れないといけない」

 

そう思った休日の昼下がりでした。

 

今日のスタイル

親父は今年77歳になります。

 

いつまでも元気じゃないな、どうしよう・・・と思い、ゾットします。

家まで送り届け、布団を敷いて横に寝かせました。

 

大丈夫大丈夫とは言うものの、親父の背中は小さく見えました。

 

「夕方体調が良くなったら買い物に行く」と言うので、私が行ってくるよと言っても「いいよいいよ」と言ってまたいつもの親父に戻っていました。

 

今年一年は、親父と息子本格的なダブルケアの一年になりそうです。

やってやるぞ、負けてたまるか!!

 

しかし・・・

 

今回はKがぐずったことで、まずは親父とKを先にあげようと思い更衣室に上がった瞬間の話でした。

 

ほんとタイミングの問題だったと思います。

 

これが、「あと一回サウナに入ってからね」と私が実際サウナに入っているときに起こっていると思ったら、ぞっとします。

 

Kのぐずりについて何かしら意味はあったのでしょうか。

 

謎です。

 

神様(もしくは天国のおふくろ)の意思かもしれませんね。

 

以上です。

本日もラジローのブログをご覧いただき、ありがとうございました。

 

今日は親父に定期連絡です(先ほどは元気な声を聴かせてくれました)。

 

 

 

 

 

 

75歳を超えた父に車の買い替えを促す

みなさんこんにちは、ラジローです。

今日は75歳を超えた父に車の購入を促した話。

 

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事故は一瞬



 

きっかけ

池袋の老人暴走事故などもあり、75歳を超えた父の運転が気になっていたところでした。

父が運転するのはダイハツミラ。平成25年に購入したものでした。

「必要最低限走ればいい」とのことで、グレードは最低級。

自動ブレーキや衝突回避機能などもちろんついていません。

 

最近よくよく父の車を見てみると、前後のバンパーに傷がついて形が変わっているところがあることに気が付いたのです。

 

「この傷なに?」

 

と聞くと、

 

「あっちこっちこすっちゃったんだよね」とのこと。

 

「ガーン・・・」

 

母が15年前に亡くなりそれから一人暮らしの父。

運転はずっとゴールド免許だった父。

 

しかしよる年波の衰えには勝てず、実は車をこすりまくっているとのことでした。

 

これは事故を起こすのは今日明日でもおかしくない。

 

安全性能の高まった新車への買い替えを促しました。

 

孫を使って説得

本当は自動車に乗らないほうがいいのですが、電車がないバスだけの地方都市では車は買い物の必需品です。

 

介護保険ヘルパーなどの家事支援でも利用したいのですが、「まだ早い」と首を縦に振りません。

 

スーパーも近所にないので、歩いて買い物に行くこともできません。

 

自分で買い物をしたいときにでかけたい、たまには仕事(一応自営業)も入ってくるなどなど。父はあれこれ理由を挙げてきました。

 

そうであれば「自動車の運転は80歳まで」「今の車では子ども(孫)を安心して乗せることはできない」「車を手放した後は買い物の手伝いをする」ということを話すと、意外と車の買い替えに前向きになりました。

 

かたくなに「車の運転はダメ」というよりは「あと何年で終わり」と見通しを立てること、心配しているふりをして話をしたほうがよく聞くように思います。

また孫はかわいいので、孫に危険が及ぶというのは相当な理由になると思います。

 

あと5年もしたら末っ子自閉症スペクトラムっ子Kもある程度大きくなっているので、父のためにあてる時間も増えるだろう、買い物を手伝ってあげるよという気持ちも伝わったと思います。

 

実際に父の運転を目の前にして

去った休日、父と一緒にディーラーに行ってきました。

父が運転して、ディーラーへ。

 

しかし、駐車場で父が車止めに勢いよくバックでドカンとぶつけて止まったり、車のナンバーを聞かれて答えることができなかったりなどなど、父の運転能力の低下を目の当たりにしました。

 

うちの親父は大丈夫だろう、と思っていた自分にぞっとしました。

 

同じダイハツミラですが、自動ブレーキ、急発進抑制など、安全性能がついた車に買い替えを進めることができました。

 

一人暮らしで厚生年金の父はある程度の蓄えがあるので、父が自分で車を購入しました。お金は残してくれるな、自分のために使ってくれと父には常々言っています。

 

鉄は熱いうちに打て、ですね。('◇')ゞ

 

今日のスタイル

 年老いた親に「車を運転するな」と言っただけでは、通用しないと思います。

卑怯かもしれませんが、孫を利用する方法、期限を決める方法、代替案を提示する方法など、複数案を提示して迫るほうが効果はあると感じました。

 

地方の交通インフラももっと充実してほしいものです。
スマートシティ、コンパクトシティ、年寄にやさしい街づくりに賛成する今日この頃です。

 

 

以上です。

本日もラジローのブログをご覧いただき、ありがとうございました。

 

介護保険と要介護認定と認知症そして介護人材不足と介護離職を説明する

みなさんこんにちは、ラジローです。

今日は相続に続いて介護の問題について現状を勘案したいと思います。

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40歳になったら介護保険

 

 

 

介護保険と要介護認定

介護保険は、介護が必要になった人を社会全体で支える仕組みです。
基本的に市町村ごとに運営されています。
財源は40歳以上の人が納める保険料と、税金、利用時の自己負担からなります。

 

介護保険を利用するには、まず市町村の窓口に申請して「要介護認定」を受ける必要があります。
認定には、要支援1、2と要介護1~5の計7段階があります。
どの段階かによって使えるサービスの総額は異なります。
例えば、特別養護老人ホームへ入所できるのは、原則として要介護3~5の認定を受けた人たちです。

 

訪問介護、デイサービスなどサービスの種類は多岐にわたります。個々の状態に応じた「ケアプラン」がケアマネージャーによって作成され、そのプランに沿ってサービスが提供されます。

 

認知症について

さまざまな原因で脳の働きが障害を受け、生活に支障を来した状態が「認知症」です。
脳に異常な物質がたまる「アルツハイマー認知症」や、脳梗塞などによる脳血管性の認知症などがあります。
物忘れが激しくなったり、自分が今どこに居るのかわからなくなったりします。

かつては「ぼけ老人」「痴呆(ちほう)」と言われたりもしましたが、現在は「認知症」と言う呼称が定着しています。

政府は2015年に高齢者総合対策「新オレンジプラン」を策定し、医療、介護体制の整備を急いでいます。認知症患者を支えるためには、地域での見守りも重要です。
当事者が「自分は認知症です」と発信することも増えています。
大変残念なのは、認知症の患者を介護する家族が、患者自身を殺めてしまうことです。
本人とその家族の視点に立ったサービス提供が求められています。

 

介護人材の不足について

介護サービスを担う人材は不足しています。原因の一つは給料の問題です。介護職員の給料は介護報酬の価格に左右されます。マイナス改定が続くと、給料が下がり誰もやりたがらないのです。

外国人人材の受け入れも始まっていますが、安心して働ける体制の整備は大きな課題です。人材不足の影響を緩和するためには、高齢者一人一人が介護予防に取り組んで健康寿命を伸ばすことや、介護ロボットやITなどを利用して介護現場の生産性を上げることが必要です。

 

介護離職問題について

2017年就業構造基本調査(総務省)によると、介護や看病を理由に仕事を辞めた人が年間9万9千人にのぼることが発表されました。

離職は本人の人生設計に大きく影響するのはもちろんのこと、会社にとっても大きな損失です。介護は長期にわたることが多く、短時間勤務正社員や勤務地限定など柔軟な働き方ができる仕組み作りが会社には必要です。

介護と仕事の両立を支える公的制度に介護休業があります。介護が必要な人1人につき、通算で93日間(計3回まで)休業することができます。その間は会社からは無給ですが、雇用保険から給付金が支払われます。

法改正によりこれまで対象外だった同居していない兄弟や祖父母も、制度の対象になりました。核家族化や晩婚未婚により介護を分担できる家族の数は減ってきています。介護休業の対象者拡大は、喜ばしいことです。

 

最後に

40歳になったら自分自身が介護保険料を払うことになります。
会社ではある程度責任を持たされる地位について、仕事もバリバリやっていることでしょう。

でもあなたのお父さんお母さんへいつまで元気でしょうか。お兄さんやお姉さんを介護してくれる甥っ子姪っ子はいますか?

 

介護問題は明日は我が身です。
今のうちに将来起こりうることを予想して、しっかり勉強しておきましょう。

 

以上です。

本日もラジローのブログをご覧いただき、ありがとうございました。

 

お盆のときに親と相続の相談をしないと予見される3つのデメリット

みなさんこんにちは、ラジローです。

 

夕焼けの写真

いつかは日が暮れる

 

今日の日経新聞にこんな記事が載っていました。

 

相続「親と相談せず」が6割 税理士法人調査 

相続が将来発生する可能性があるにもかかわらず、相続について会話をしたことのない親子が6割近くに上ることが、相続税の申告業務を数多く手掛けるランドマーク税理士法人横浜市)の調査で分かった。親子で資産の話をしづらいという回答が多く、同法人は「できるだけ元気なうちに話し合ってみてほしい」と話している。

2019年8月15日日経新聞

 

相続の相談を親としていないと、肝心なときに慌ててしまう3つのデメリットを紹介します。

 

そのデメリットは

  1. 準確定申告に間に合わなくなる
  2. 手続きに必要な書類のありかがわからない
  3. 認知症になったときに何もできない

です。

 

 

 

準確定申告に間に合わなくなる

亡くなった方が個人事業をしていた場合、死亡した日の翌日から4ヶ月以内に確定申告をおこなう必要があります。これを「準確定申告」といいます。

父親は故人事業をしていて母親と二人暮らし長男の自分はサラリーマンをしていた場合、なれない確定申告に戸惑うことが多くあります。
帳簿作成、青色専従者給与の源泉徴収などなど。母親が経理にノータッチならなおさらです。

また準確定申告は相続人全員の連署と押印をして納税することが必要になりますので、各人が故人の所得税を相続分であん分して支払うための準備が必要です。

 

手続きに必要な書類のありかがわからない

これが一番困るのではないでしょうか。取引銀行がわからないと可能性のある銀行すべてに照会をかける必要が出てきます。

また生命保険についても、毎年送付される契約内容のお知らせなどでわかることもあるかもしれませんが、どんな保険にどれくらい加入しているか知っておかないと、請求漏れが起こる可能性は否定できません。

こんな話しがありました。

父親が亡くなった後に、母親が「そういえば1000万円の保険があったと思うんだけど」と言うのだけれども探しても見つからない。当の母親は「いや確かにどこかにある」と言う。でも探しても見つからない無限ループに陥った。

いうお話です。

 

特に高齢のご夫婦の場合、奥さんに財産の状況も詳しく知らせずに現金を渡しているだけ、という方もまだまだいらっしゃいます。

額は教えてくれなくても、書類一式くらいはまとめていてほしいですね。

 

認知症になったとき何もできない

今は困らなくてもとから困るのが「認知症になったとき何もできない」ことではないでしょうか。
親が認知症になって意思能力が無くなると遺言書が書くことができません。
金融機関でお金を引き出すこともできなくなります。

そのとき成年後見制度を利用しても時間がかかります。遺産の分割についても当人の医師を推し量るすべも無く、相続人でも揉めてしまうこともあります。

なので元気なうちにお盆で集まったみんなの前で「自宅は長男。預金は長女と次男でわけなさい」「認知症になったら老人ホームに入れてくれ」くらいは話ができると、のちのち対応がしやすいと思います。

 

私の場合

私は父に終活ノートの記入を依頼しています。父は母が亡くなって一人ぐらし。身の回りの家事もおろそかになってきて、自宅の片付けもままなりません。

そんな父に終活ノートの記入を依頼しても、「まだ元気だから大丈夫だよ」と意に介さずです。

でもあきらめずに口酸っぱく「困るのは残された遺族なんだよ」と言い続けています。

 

みなさんも、諦めずに頑張って実家の父母と相続の話し合いをして見てください。

 

妻方の義父の相続手続きを手伝ったとき、本当に大変でした。あちこちに書類をもっていって、たびたび相続人全員に署名押印をもらって、印鑑証明も追加でもらったり、全部で一年近くかかった思います。

 

備えあれば憂い無しです。私は親と相続の話し合いをすることを強くオススメします。

 

 

以上です。

本日もラジローのブログをご覧いただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

今週のお題「海」から実家の父の介護リスクを思ふ

今週のお題「海」

海の画像

海には良い思い出も悪い思い出もある

 

みなさんこんにちは、ラジローです。

 

今日は海と聞いて思い浮かんだことを語りたいと思います。

 

あれは私が3歳くらいの夏休みの時期、家族で母の実家に里帰りをしていたとき。
父は仕事で遅れてくることになり、私と兄と母の3人で最初は母の実家に行っていました。

 

いとこも含めてみんなで近くの海に遊びに行ったときに事件は起こりました。
私は海岸にいた細長い小さなヒトデを見て大泣きしてしまいました。
私は泣きながら「パーパー!!」と言っていたのを覚えています。

 

母は私に「パパに来てもらって(ヒトデを)やっつけてもらおうね」と言って、泣き止ませようとしました。私はそのときの母の困った顔を、早く父に助けに来てもらいたいという気持ちを、40歳になった今でもはっきりと強く覚えています。

おそらく細くてとげとげしたヒトデを得体の知れない恐怖の怪物と思い込んだことで、うろたえる母と父を嘱望する私の気持ちがフリーズドライのように脳にきざみこまれたのだと思います。これはPTSDいわゆるトラウマが記憶される状況と同じです。

 

ひるがえって今の父と私の関係を考えてみると、あのときの気持ちが悲しくなってきます。私の母は看取り介護の末亡くなりました。父はあれから15年間一人暮らし。父の自宅の近くに兄家族が住んでおりますが、嫁舅の関係はうまくいかず兄以外疎遠状態です。

問題は母亡き後、父が一人暮らしをしている状況です。もともと中小企業の社長をしていた父は家事育児は母に任せっきりでした。

母を介護しているときは私も実家住まいなので家事はなんとかなったですが、母亡き後私が結婚して家を出ると、実家の掃除が少しずつ手が行き届かなくなってきました。

それでも、盆や正月など母の仏前に手を合わせるために実家を訪れたときはできる範囲で片付けを行ってきました。

私の長女も小学生の時は「じいちゃん、じいちゃん」と父を慕っておりましたが、中学生にもなると埃だらけでトイレの掃除も行き届いていない実家に行きたがらないようになりました。

最近の父は風呂に入っていない様子で体も臭うようになり、私としても孫たちが行きたがらないから、なんとか掃除洗濯入浴はしっかりやってくれんかとお願いしているのですが、「大丈夫だよ」とこれ以上話しをするのを嫌がってしまいます。入浴が十分にできないようになると介護のリスクが高まるよ、と新聞記事など切り抜きを持っていって見せるのですが、経営者を続けてきた性分からか、人の助言を素直に聞こうとしません。地域包括支援センターにもつなげましたが、行かなくなりました。

あの日あの海で、父がいないことが恐怖で、戦隊ヒーローを待ち望むかのように父を求めていた私の気持ち。今となっては、母に先立たれなんとか一人暮らしを続けるも、少しずつ生活レベルが落ちていく父。父の身を案じあの手この手でサービスにつなごうとするも、なかなか進まず。体は比較的まだ元気、でも心=精神的な面で、元気に生活していこうという気の持ちようが下がってきているのです。

息子の自閉症スペクトラムと父の介護の問題に対して、これからどうしていこうか。改めて昨日の海の日に考えました。

まずは息子の小学校入学と特別支援学級へのつなぎを無事に通過し、父の問題に取り組んでみようと思います。

 

以上です。

本日もラジローのブログをご覧いただき、ありがとうございました。

 

 

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